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東京高等裁判所 平成9年(ネ)2827号 判決 1998年5月12日

控訴人

千代田火災海上保険株式会社

ほか一名

被控訴人(原告)

吉引勝己

ほか一名

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

主文と同旨

二  被控訴人ら

本件控訴をいずれも棄却する。

第二事案の概要

事案の概要は、次のとおり付加訂正するほか、原判決事実及び理由の「事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決三頁六行目の「自賠法」を「自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)」に、同九行目の「甲一、六」を「甲六、五五」にそれぞれ改める。

2  同五頁八行目から九行目にかけての「単車二〇ないし三〇台、多数の四輪車」を「多数のオートバイ、四輪車」に改める。

3  同八頁八行目冒頭に「1」を加え、同一〇行目の「原告」を「被控訴人ら」に改め、同九頁二行目末尾の次に次のとおり加える。

「すなわち、謙司は、赤信号を無視して交差点に侵入してきた暴走族の先頭集団を見て驚き転倒し路面を滑走し、松山車に衝突して死亡させられたものであり、直接衝突しなかった節田車や吉條車は、右先頭集団に属していたものであるから、謙司を転倒させる原因となり死亡させたものと見ることができるから、右の両車の走行は、謙司の死と具体的因果関係がある。また、仮に節田車や吉條車の運転行為が松山車の暴走行為を幇助するものに過ぎないとしても、本件事故の態様からすると、その運転行為と謙司の死亡との間には自賠法三条の因果関係があるというべきである。」

4  同九頁三行目の「被告」を「控訴人ら」に改め、同八行目末尾の次に次のとおり加える。

「本件において、節田車及び吉條車の運行は、松山車が赤信号を無視して本件交差点を進行することを容易ならしめはしたが、松山車と謙司との衝突には事実的な共同関連を欠き、自賠法三条の『運行による』という因果関係が認められないから、節田及び吉條は、謙司の死亡について自賠法三条の運行供用者責任を負うものではない。

2 前記二4(損害の填補)の(一)の受領済み保険金を前記の訴訟費用額に充当することの可否

(控訴人らの主張)

訴訟費用額は自賠法一六条一項により被害者が請求し得る保有者の負担する損害賠償額には該当しないから、被控訴人らが受領した保険金は全額本訴請求元本額に充当されるべきである(ちなみに自動車損害賠償責任保険普通保険約款八条は、被保険者が支出する訴訟費用は負担しない旨明記している。)。

(被控訴人らの主張)

判決により被保険者が支払を命じられた訴訟費用は、被害者救済の趣旨を貫く意味で自動車損害賠償責任保険普通保険約款八条の適用はなく、保険金により支払われるべきである。」

第三当裁判所の判断

一  本件事故発生の状況は、次のとおり付加するほか、原判決事実及び理由の「争点に対する判断」欄の一(原判決九頁一〇行目冒頭から同一二頁八行目末尾まで)記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決九頁一〇行目の「甲一、六、二三ないし二五」を「甲六、二三、二四の一、二」に改める。

2  原判決一〇頁五行目の「増設されている。)である。」を「増設させており、また、東西道路の交差点東側においては西行車線のみが二車線となっている。)である。右交差点の北東角には天理教愛町分教会の建物があり、交差点を西進する車両と南進する車両相互間の見通しは悪くなっている。」に改め、同末行末尾の次に「なお、謙司の進行道路の交差点入口の横断歩道上から南方に向かって謙司運転の自動二輪車のスリップ痕が六・八メートルにわたって残されている。」を加える。

3  同一一頁一行目から二行目にかけての「リーダーで、もと特攻隊長であったが、」を「もとリーダーであったが、」に、同七行目から八行目にかけての「単車二〇ないし三〇台及び多数の四輪車」を「多数のオートバイ、四輪車」にそれぞれ改める。

4  同一二頁六行目の「本件事故現場では、」の次に「松山車が先頭で交差点に進入し、松山車の後方には約五、六台のオートバイが蛇行運転をしながら雑然とした隊列状態で続いており、節田車及び吉條車は、その正確な走行位置は定かでないものの、松山車の後方に続く先頭グループの中にいて走行し、」を加える。

二  ところで、自賠法三条による運行供用者の損害賠償責任が認められるのは、自動車の「運行によって」他人の生命、身体を害したといえる場合であり、自動車の運行の被害者の死亡等との間に相当因果関係の認められることが必要であるところ、右引用に係る事実によれば、本件事故は、衝突の危険を感じた謙司が急制動等衝突を回避するための措置をとり安全に失って転倒、滑走し、松山車と衝突したもので、節田車及び吉條車と謙司とが衝突ないし接触していないことは明からであるが、自動車の運行と死亡等との間の相当因果関係を肯定するためには、必ずしも当該自動車と被害者とが衝突ないし接触することが必要とされるわけではなく、例えば、被害者が特定の車両の暴走行為を現実に目撃したため衝突の危険を感じあるいは驚愕するなどして、急制動や転把するなどの衝突を回避する措置をとり、あるいは運転操作を誤り、転倒、滑走したことによって被害を受けた場合はもとより、被害者が特定の車両の個々の暴走行為を現実に視認していなくても、それらの車両を含む暴走車両の先頭グループの一団の車両群を視認し、そのうちのどれか不特定の車両との衝突の危険を感じたりするなどして、急制動等の衝突回避の措置をとることを余儀なくされて転倒、滑走したことにより被害を受けた場合にも、被害者に衝突の危険を感じさせた車両が被害者の車両等に接触しなくても、衝突の危険を感じさせた車両の運行と被害との間に相当因果関係があると解するべきである。

そこで、本件について検討するに、前記認定のとおり、節田車及び吉條車は本件事故現場の交差点に進入する際、先頭で走行していた松山車の後方に続く暴走集団の先頭グループに属していたと認めることはできるが、その状況は、次に述べるとおり、節田車及び吉條車がその先頭グループのどの位置にいたかまでを的確に確定できる証拠はない。

1  節田及び吉條は、警察官等に対する供述調書において、本件事故現場に差し掛かる直前の走行状況につき、松山車に続く先頭グループにいたことを肯定する供述をしているが、その具体的な位置については、節田は、松山車の五~六メートル後に金村邦彦達がおり、自分はそれより少し遅れて、足立英一に続いて走っていた旨供述し(甲第七九号証)、吉條は、松山車の四~五台後を走行しており、先頭グループには、節田車のほか、金村邦彦、中村史郎、足立健治運転の各オートバイがいたが、松山車に続く者は蛇行運転を繰り返し走行位置が一定しているわけではないため、各人の位置は覚えていない旨供述し(甲第七三号証)、また、松山は、本件事故現場に差し掛かった際、自分が先頭で、その後方を節田車、さらにその後ろに仲間のオートバイ、四輪車が連なっていた旨供述している(甲第六六号証・司法警察員に対する供述調書)が、走行中の出来事であり、自己の後方の車両の位置を的確に把握していたとは考えにくい。

2  甲第七三号証(吉條の司法警察員に対する供述調書)によれば、吉條は、自分達が暴走行為をして交差点を通過するときは、赤信号であっても、まず先頭の車両が速度を落とし爆音を立てて交差点に突入して交差道路の車両を威嚇し、それに続いて後続の暴走集団が進入していくというやり方を用いており、本件事故直前も、先頭のオートバイ(松山車)が急に速度を落とし爆音を立てていた旨供述しており、これによると、松山車の本件交差点への進入と後続の先頭グループの車両の進入との間には多少の時間的間隔があったことが窺われる。

3  本件事故当時、東西道路を東進し交差点直前で停車していた江藤信一は、検察官に対する供述調書において、暴走集団のうち二台のオートバイがゆっくりとした速度で蛇行運転をしながら交差点内に進入し、そのうち中央寄りを走っていたオートバイと謙司運転のオートバイとが衝突した旨供述し(甲第三七号証)、また、同じく本件事故当時自動車を運転して本件事故現場に差し掛かった清水文康も、実況見分に際し、暴走族のオートバイ二台が交差点内に進入したとき、謙司運転の車両が転倒するところを見たと述べており(甲第四一号証)、右目撃者の供述からすると、事故直前、東から西に二台のオートバイが並進する形で交差点内に進入したということになるが、松山車でないもう一台のオートバイが何者であったかは明らかでないものの、少なくともそれが松山車の後方を走行していた節田車や吉條車であるとは考えられない(なお、松山は、司法警察員に対し、本件交差点では知多の暴走族の四〇〇ccの単車が並進していたと供述している。甲第六三号証)。

4  右1ないし3のほか、前記認定のとおり、節田及び吉條は、交差点中央に謙司が倒れているのを左側に見ながら交差点を通過しており(この点は警察での取調べ段階から一貫している。)、本件事故が発生した後に交差点内に進入したものとみられることを考えると、松山車が交差点に進入し、謙司がそれとの衝突の危険を感じて転倒、滑走するに至った時点では、節田車及び吉條車は松山車の後方で蛇行運転をしながら未だ交差点入口にまで至っていなかった可能性もある。そして、交差点の東南角に建物があって謙司方向から暴走族進行方向の見通しが良くなかったことなども総合してみると、謙司が節田車や吉條車の暴走行為を現実に目撃して衝突の危険を感じたり驚愕するなどして衝突を回避するための措置をとったものと認めることはできない。また、両車両が暴走族の先頭グループの中にいたとしても、節田や吉條がいうところの先頭グループは相当に長く大きい雑然として隊列状態であったものと推認されるため、現実に謙司が衝突の危険を感じこれを回避しようとした相手は爆音を立てて威嚇しながら交差点に進入してきた松山車ともう一台のオートバイであったと推認するのが自然である。そうすると、節田車及び吉條車の「運行」が謙司に転倒、滑走を生じさせるような何らかの影響を及ぼした疑いはあっても、本件証拠上これを認めることは困難であるといわざるを得ない。

三  被控訴人らは、謙司の死亡事故は節田車及び吉條車を含む暴走集団ないしその先頭グループの運行によって発生したとみるべきである旨主張するが、自賠法三条は、個々の自動車の「運行によって」生じた死亡等による損害について、当該自動車の運行供用者にその賠償責任を認めたものであり、前記のとおり、右賠償責任が認められるためには、個々の自動車の運行と死亡等との間に相当因果関係が存在することが必要なのであって、被控訴人らが主張するような暴走集団全体ないしその先頭グループ全体をとらえてそれらの走行と死亡等との因果関係の有無を論ずることは相当でなく、被控訴人らの右主張は失当である。

また、被控訴人らは、節田車や吉條車の運転行為は松山車の暴走行為を幇助するものであるから、その運転行為と謙司の死亡との間には自賠法三条の因果関係があるとも主張する。確かに、節田及び吉條を含む暴走集団の一団となった暴走行為が、松山の赤信号を無視した交差点への突入を援助、助長したということはできるが、本件においては、その援助、助長なるものは、節田車及び吉條車の運行によって松山車の走行車線が確保されるなど物理的に松山車の交差点突入を容易ならしめたというものではなく、いわば集団での暴走行為により松山に対し心理的な支援を与えるというものであるから、節田車及び吉條車の運行が具体的、事実的な面で謙司の死亡に直接の原因を与えたということはできないのであって、節田車及び吉條車の運転行為が松山車の暴走行為を幇助したといえるからといって、本件事故が自賠法三条にいう節田車及び吉條車の「運行によって」生じたということはできないというべきである。

四  以上のとおりであり、節田車及び吉條車の運行と謙司の死亡との間には相当因果関係が認められないから、節田及び吉條について自賠法三条による損害賠償責任が認められることを前提とする被控訴人らの本件保険金請求は理由がなく、棄却すべきである。

よって、右と異なる原判決は相当ではないから、これを取り消した上、被控訴人らの請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 鬼頭季郎 佐藤久夫 廣田民生)

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